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Beethoven 作品5 2曲のチェロソナタについて
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3. アルペジョーネソナタ解説 アルペジョーネソナタはシューベルトの最後のピアノソナタやカルテットに双肩するくらいの名曲とこの項で前に書いたが、曲の構成はこれらの曲に比べるとずっと常套的である。第一楽章は二つの主題と展開再現というソナタ形式を踏まえたわかりやすい形式でこれといった説明も必要が無いくらいである。第二楽章はリート形式の前半に次楽章につなげる経過部、第三楽章は明確なロンド形式という風に構成的にも形式的にもこれといった目新しいものがあるわけではない。本来がアルペジョーネという新作楽器の紹介と奏者の腕を見せるという意図があって書かれた曲であると思われるので、14番(死と乙女)や15番カルテットのような労作的ソナタではない。では何故この曲はここまで人の心をうつほど美しいのかと考えると、やはりそれはシューベルトの天賦の才としか言いようが無い。ありきたりなリート形式によるちょっと聞くと何の細工も施されていないような素朴なリートも、もっと労作的なリートと同じくらい美しい曲があるように、音楽の美しさの本質は労作、技巧とは別の所にあるという証である。しかし詳しく見てみるとその美しさの秘密とでも言うべき様々な「細工」がちりばめられた宝石のようにあちこちにあらわれる。そういった観点から解説をしてみようと思う。 第一楽章 (4/4 アレグロ モデラート イ短調)
この7小節目は学校で習う和声実技的に言えば不要な和声進行でこの小節を省いても実は音楽は成り立つのである。それを次に示した。(音源2合成音)
8小節目を省いた以外はシューベルトの書いたとおりである。譜割りがいいのでむしろすっきりした感じになるが、如何せんいかにも凡庸である。しかし普通の多くの作曲家はこれでも満足するのではないか。決して悪い音楽ではない。しかしシューベルトがどう書いたか知ってしまった耳にはもう我慢ならない。シューベルトは冒頭を単なる前奏にしないでいきなり印象的なことを二つも行ったのである。始めの4小節は平易で素朴な音楽である。ところがそれに続く5小節目ですでに美しい転調をし(技術的にはa
mollの9度のドッペルドミナント)さらには6小節目で『ナポリの6度』を用いるのだが(「ナポリの6度」はウイキペディアに項目があるかと思ったが無かったので、この項の最後に注を入れた)ここでありきたりなナポリの6度の進行(譜例2)を避け1小節を挿入して変ロ長調という少し離れ調性で遊ぶのである。ナポリの6度はa
moll (イ短調) の場合 B dur (変ロ長調) 第一転回形の和音である。これにシューベルトはさらに変ロ長調の属7(第三転回形)を挟んで、音楽がいったん立ち止まった様な、あるいはどこへ行こうかとためらう様な、「揺れ」の1小節を挿入したのである。ここがまさにシューベルトの非凡だと思う。さらにこの部分は後でいろいろ形を変えて出てくるので曲全体の「核」といっても大げさでは無いかもしれない。 前奏の「M1」に、ここではさらに新しい印象的なモチーフを加えてあらわれる(M1-2)。このモチーフのDは左手の和音から見ると長7度の非和声音である。シューベルトはそれを3度繰り返すのだ。Dには一回目アクセントを付け二回目にはクレッシェンドも加え3度目にはFpまでつけて固執する。まるで何かにすがるかのような、訴えるような執拗さで。何にすがりたかったのだろう。この曲を書いている頃の精神的な不安がこういう音楽を書かせたのだろうか。前奏部と同じくこの部分も和声進行上は省ける、いわば余計な小節である。 それを思うとこの挿入にシューベルトがいかに拘っているかが理解できる。 第二主題からは軽快な音楽である。(音源5)16分音符主体のどちらかというと表面的な技巧を見せるためのコンチェルタンテな音楽の形をとっている。同時代のシュポア、ローデといったヴァイオリンの名手、又はチェロで言えばロンベルグなどが書いたコンチェルトの技巧パッセージの書き方を参考にしたかもしれない。 依頼者シュスターから技巧的パッセージを入れるよう要望があったか、時代的背景の慣例なのかとも想像したりする。とはいえシューベルトである。無味乾燥になりがちな16分音符のパッセージも美しい。チェリストにとっては上がったり下がったりの難しいパッセージである。
余談だがガスパール カサドに、この曲のこういうコンチェルタンテな性格を強調してオーケストラとチェロのために書き換えた作品がある。ワンダラーファンタジーをオーケストラとピアノに書き換えたリストにならったのかもしれないが、あまり趣味の良いものではない。 こうしえ見ると前奏の何気ない1小節がこの曲の中でどれほど重要な位置を占めているかがよく分かる。このパッセージはチェロがロングトーンで和声を支えているが、105小節目からの和声の移り変わりも同じ方法をとっている。(譜例6 音源7)この転調の見事さと斬新さはシューベルトならではのものである。 クライマックスに達した音楽は4小節にわたるホ長調和音の上にチェロが高音部から最低音のミまでゆったりと降りてきてから再び3連符で上昇したかと思うや、突如絶望的なホ長調の9度和音の叫びとなり再現部にいたる。 このあと第二主題は慣例的にイ長調で再現され、188小節目からはコーダに到る。コーダは少しずつ力を落としてゆく、どこか絶望感を漂わせた音楽である。
お断り:この項の音源2及び注以外の音源は1992年札幌サンプラザホールでの津留崎直紀(Vc) 野平一郎(Pf)によるコンサートの録音です。尚これらの音源を含めて当サイトの無断使用、複製は著作権法により禁じられています。
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