はじめに

Beethoven 

作品5 2曲のチェロソナタについて
 
チェロソナタ 第1番 Op 5-1

F. Schubert

アルペジョーネソナタ 1 2 3  5

 

 

 

 

 

 

 

2011年秋 リサイタルシリーズ

もくじ

 

F.シューベルト : アルペジョーネソナタ
Sonate Arpeggione

 シューベルトは弦楽四重奏や有名な2台のチェロのクインテット、シンフォニーなどでチェロ独特の美しい響きを見事に引き出した作曲家だが、チェロの独奏曲は残念ながらその短い人生の中でついに書く事はなかった。チェロの独奏曲はこのアルペジョーネソナタ一曲だけだが、これほど美しい曲がチェロの音域にぴったりと合っていたのはチェリストにとって幸運といえるだろう。作曲されたのは「死と乙女」と同じ年1824年。 梅毒よる絶望の淵をのぞき見るような精神状態の中で書かれた曲だが、Wikipediaで述べられているように「暗澹たる表情に支配されている」とは少し誇張がある。これに関しては後で曲の分析の所で述べる。
  シューベルトに関してはこのところ続けて詳しい伝記などを読んだが不思議な事にこの曲に関しての記述がどちらの本にも無かった。レコードやコンサートのプログラムにもウイキ程度の解説はあるが、いつも同じような文章である。シューベルトはベートーヴェンやモーツァルトのように膨大な書簡は残しておらず、三日坊主の日記を一年に数度書くくらいで伝記のおしまいに10ページくらいのスペースで彼の書き残したものを掲載するのに事足りるのである。しかも自らの音楽について語っているものはその中にほとんど無い。伝記作家はその点で大いに苦しむのだろうが、この曲に関しても他の多くの曲同様何も自身が書いた文章が無いのは残念である。いずれにしても死後もうじき200年になろうとしているがこの永遠の青年作曲家について人は多くを知らないのが現実である。自分がチェリストであるという非客観性をさしひいても、「アルペジョーネ」は例えば上述したクインテットや13番以後のカルテット、最後の何曲かのピアノソナタと双肩するくらいの名曲であると思っている。
  アルペジョーネという楽器に関してはいろんな所で書かれているので詳しい事はそちらに譲りたい。Wikipedia などをご参照願いたい。日本でも奥村治氏が貴重な研究を重ねられ楽器の復元作成をされている。
  ウイキペディアによるとシューベルトの死後40年以上経った1871年になって始めてこのソナタは出版されたそうで、その頃にはアルペジョーネその物が忘れ去られた楽器になっていたとの事である。どういうところで誰が初演したかも現在では想像の域を出ないようだが、楽譜はきちんとした形で存在しているのだからそれで良しとするべきだろうか。

チェロで演奏する場合の問題

 アルペジョーネは簡単に言えばギターをチェロのように弾ける様に作り変えた楽器なので音域的にはチェロとほとんど変わり無い。最低音がチェロより3度高いE、高音域に関しても問題が無いのでこの曲を出来るだけ原典に忠実に弾くにはアルペジョーネ以外ではチェロがもっともふさわしい楽器であることに多くの方は異論は無いだろうと思う。この曲をチェロ用に書き換えた楽譜はたくさん出版されている。それらの中には原典の冒涜とすら思えるくらい音を変えた出版もあるし、あらゆる楽器に編曲されてすっかり「手垢」がついてしまった感は否めない。
  私が始めてこの曲に出会ったのは中学生の頃で、ロストロポーヴィッチとブリテンが弾いたレコードを自分の小遣いで買った事を良く覚えている。なぜかというとこのレコードには驚くべき事に楽譜が付録で付いていたのだ。 この楽譜は今から思うとおそらくペーター版からの借用したものだったのではないかと思うが、このペーター版は実はかなり原典に忠実で、ピアノ譜に載っているチェロパートはほとんど原典といって良いくらい、細工されていないものである。その後芸大に入ってからアルペジョーネを楽譜通りに弾くのはむしろ非主流で、名人たちは皆自分の趣味に合わせていろんな細工を施して弾いていることを知って少なからず驚いた。ロストロポーヴィッチは当時としては珍しくほぼこの擬似「原典版」に忠実に弾いている。この頃からこの不思議な「アルペジョーネソナタ」にいつも何か引っかかるものを感じながら、正確で真面目なエディションの出版を待ち望んでいた。私が現在参考にしているエディションは上に述べたペーター版と、ベーレンライターのクリティカルエディションであるがこれが出版されたのは1988年とあるから、初版から117年後にやっと信用に足るシリアスな楽譜が出たという事になる。

 さて、原典に忠実にと書いたが、チェロで問題になるのはまずは数箇所ある和音である。ギターと同じく6弦楽器なので6音和音は4本弦のチェロに「翻訳」せざるを得ないが、和音の使い方は単純な終結和声で、この程度の細工は音楽の本質を損なうほどでは無いので問題なであろう。
  他には最低音Eのせいで、音を書き換えている場合どうするかという問題がある。はっきりと最低音を書き換えている場所は第一楽章の提示部と再現部での違いである。Aの提示部をそのまま再現部のA durに移調するとBのように最低音がDis(嬰二)となってアルペジョーネでは不可能な音になるのでシューベルトはCのように書き換えたのであるが、チェロでは可能である。言うまでも無く和声的には両者は同じである。


ここをどうするかは少し迷う所であるが、私は現在はCの原典通り弾いている。理由は必ずしも再現部は半で押したように同じである必要は無いこと、むしろ少し変えてみるのも面白い事だと思うし、何しろシューベルトがそう書いたという一番の理由があるからだ。

 第三楽章のM343のピツィカートのパッセージはかなり迷う。和声的にもバス音の進行的にも低いDがふさわしいが、アルペジョーネには存在しない音である。ピアノの左手は1オクターブ上で同じバス進行をしているのでここでは低いDを弾く事にしている。

記譜法の問題

 一番大きな疑問はシューベルトがアルペジョーネパートにどういう記譜法を用いたかである。シューベルトの自筆譜を是非一度閲覧してみたいが残念ながら実現には到っていないし、第一どこの図書館に保存されているのか、はたまた個人の所有になっているのかすら知らない。読者の中でご存知の方がいらしたら是非ご一報願いたい。
  この記譜法に関してはかなり複雑な問題がある。まず初演したと思われるヴィチェンツ シュスター(Vincenz Schuster)はギタリストであった事からギターの記譜法で書いたのではないかと想像できる。ギターの記譜法はト音記号で実音より1オクターブ高く記譜される。しかし1871年に出版された時はおそらくチェロ用に書き換えられたものだと想像できるのでこの時にすでに何かの書き違いが起きていてもおかしくない。 
  そう想像する理由は初出版がチェロの記譜法がはっきり確立したかどうかの時期だったからである。シューベルトの存命中の19世紀初頭はチェロの記譜法はまだ様々な方法があって例えば、ベートーヴェンはト音記号は多くの場合実音の1オクターヴ高い記譜法をしていて、テナー記号は用いていなかった。現在でも古いエディションで時々見かける記譜法である。現在のバス、テナー、ト音記号で実音表記のを提唱したのはベートーヴェンの友人でチェリストのロンベルグだといわれているが、ロンベルグの同時代者であったシューベルトがどこまでそれを知っていたかは疑問である。ロンベルグの提唱した表記法が一般的になるのはさらに100年くらい後ではなかろうか。出版物は一度出るとかなり長く残る。例えばベートーヴェンの古いカルテットのエディションはもう絶版にはなっているだろうが楽譜そのものは最近まで使われていたはずである。余談だがワーグナーはオーケストラのチェロパートにこの方法を合理的に用いた先駆者であったかもしれない。現代のチェロの記譜法が多くの出版社にいきわたったのは実はそう古い事ではなく、チェロの高音域の記譜に関しては少なからぬ混乱が長い間あったのである。
 アルペジョーネの記譜を仮にギター表記でシューベルトが書いたとしての前提で話を進めるといくつかのパッセージは表記上かなり高音になる。下に示した例は第一楽章のM163からであるが、シューベルトがギター表記で書いたとした場合表記はこれよりさらに1オクターヴ上に書いた事になる。チェロで演奏する場合かなり高い音域で1オクターヴ低い方が響きもいいという理由もあって多くのチェリストはそうしている。またアルペジョーネの場合も同様に低いオクターヴの場合だとファーストポジションでEの開放弦が使えて(譜例の2小節目)響きが綺麗なのではないかと思われる。そうするもうひとつの理由はこのパッセージが譜例にかぎカッコ示した部分で急激に2オクターブ近く下がる事にもよる。前半の提示部での同様の箇所は7度下がる事も考え合わせると、どこかで記譜上のミスが合ったのではないかという疑いはぬぐいきれない。

 他にも第二楽章冒頭のピアノ旋律がベーレンライター版は「ソーソーファ」となっている。チェロの4小節目と並行するという考えではもっともと言えるし、出版社も確証があってこう訂正したのだろうが、正直今ひとつ自分にはしっくりこない。

 しかし先にも述べたように、これに関しては自筆譜を閲覧して見るしかない。今回のリサイタルシリーズではこの箇所も含めて全てベーレンライター版を信じて表記どおりに弾く事に決めた。

 

1  2  3  4 5

 

2011年7月1日