新年のご挨拶に代えて 雑感

 

 

 2011年になった。今年も皆様にとって良い一年でありますようお祈りいたします。

友人からの年賀メールで新しく入ったオケのメンバーの父親は自分より若いと知ってちょっとショック?
だったようだ。
うん、よく分かる。オケという所はそういうところだ。

 オーケストラは18世紀に王家や貴族の金持ちが才能豊かな音楽家を雇って、作られたものが始まりだ。それが王侯貴族にとってのひとつのステータスであったのだろう。現代で言えばプロ野球やサッカークラブを所有する新聞社や財団のあり方に良く似ていると思う。18世紀にスポーツ観戦という娯楽はなかっただろうから(スポーツは貴族の娯楽で自ら行うものだったのだから)見たり聞いたりが当時の数少ない娯楽であったことは想像に難くない。現代の金持ちはオーケストラやオペラハウスを所有することにステータスをあまり感じなくなったのだろう。音楽はいろんな方向に特化して娯楽性の高い音楽はイベント会場に移り、18世紀に絶頂期を迎えたいわゆるクラシック音楽は一部の愛好家の物になっていった。貴族の娯楽だったスポーツも特化しより能力の優れたプレーヤーのプレーを観戦することが娯楽になった。いきおいクラシック音楽家は数少ない奇特な現代のパトロンの懐に頼らざるを得なくなった。ヨーロッパではそれが主に国や地方公共団体である。プロ野球選手やサッカー選手の報酬と我々のそれを比較しようとは誰も思っていないだろうが雲泥の差である事は事実である。
仕方がないことだ。

 話をハイドンの時代に戻すと、これら王侯貴族のおかげでハイドンやベートーヴェンが交響曲の分野を飛躍的に発達できたのだから我々音楽家や音楽愛好家にとっては幸運と言うほかない。しかしそれもフランス革命のせいでそうは長続きしなかった。革命思想のもととであるルソーやヴォルテールに実は少しかぶれていた王侯貴族たちもいざ革命が現実のこととなるとたちまち怯え、社会的不安が高まり貴族たちは折からの市民階級の台頭で財政難に陥り始めた。オーケストラを所有する代わりに小さいアンサンブルや弦楽四重奏程度の編成にするところが増えてきた。ベートーヴェンがOp18の弦楽四重奏曲の作曲したのも、ハイドン晩年の四重奏曲の名作群も、こういう政治的背景に無関係ではないだろう。 カルテットといえども品の良いサロン風の音楽では済まされず、あたかも本物のオーケストラが演奏しているくらいの迫力と音量を求められてきたわけだ。これまたおかげで弦楽四重奏曲という確固としたジャンルが誕生したのだから、歴史は何が幸いして何が不幸をもたらすかわからない。

 オーケストラは19世紀になって爆発的に肥大化した。元祖は交響曲にピッコロやトロンボーンや果ては打楽器まで持ち込んだベートーヴェンである。10人程度のヴァイオリンではこうなったら太刀打ちできない。フルートやオーボエも一人や二人では心もとない。世の中ははっきりと王侯貴族が落ち込んだ分だけ新興市民(ブルジョワ)の物へと移り変わって行った。もっとでかい音を出して人を驚かしてやろうと思う作曲家や、指揮者の意図は多くの演奏家の利害と一致して近代社会的大オーケストラが誕生するのにそう時間がかからなかった。その先鞭を付けたのはフランス革命の申し子とでも言うべきベルリオーズだろう。ベルリオーズが西欧音楽にもたらした影響はひょっとしてベートーヴェンのそれに匹敵するくらいの絶大さだったかもしれない。

以下続く

2011年1月2日




     
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