「語るバッハ」その2

 

03-27

しばらく忙しくしていてずいぶん時間があいてしまいました。
昨日はキリストが十字架を背負ってオリーヴ山を登った聖金曜日、明日は復活祭でこちらは週末から月曜にかけての実質上の4連休です。復活祭と言えば音楽界ではバッハ(などの)受難曲が演奏される季節です。バッハの受難曲で思い出しましたが、この有名な2曲の中には「嘆き」や「涙」など様々な象徴的音形がたくさん出てきますね。
  さて、「語るバッハ」だったわけですが、器楽演奏の「語法」と言っても良いでしょう。西洋音楽、特にバロック時代の音楽の演奏法には様々な法則がありその法則にのっとって、奏されなければならないと言うことです。こう言ってしまうとなんだかかたぐるしい感じですが、音楽をより生き生きと表現しあるべき姿に整える規則でしょうか。さいわいクヴァンツッやレオポルド・モーツァルトと言った人たちがが書き残してくれた書物が現存しているのでこういったことが確信を持って言える訳です。
  その第一には「拍のヒエラルキー」が重要な事柄として挙げられるでしょう。強拍と弱拍を明確に捕らえて演奏することと言っても良いでしょう。この事は意外に忘れられがちで、2拍子の強−弱、4拍子の強−弱−(中)強−弱と言うのは学校の音楽の時間でも習ったような気がしますが、訓練をつんだ演奏家に限ってよく忘れがちな事のような気がします。(この事については後に述べようと思います)3拍子は一般的に1拍目が強い強−弱−弱 ですが、(ワルツが一番良い例ですね)、いわゆるルネッサンスからバロック時代にかけては3拍子系の音楽が非常に多く、様々な形がありました。チェロ組曲でもお馴染みのサラバンドは強−強−弱ですが、特に2拍目が1拍目より強調される傾向があります。また起源的にはサラバンドに似通っているラ・フォリアやシャコンヌは明らかに弱−強−弱の形になっています。またメヌエットは反対に2拍目が軽く、3拍目がわずかに強調される感じです。J.E.ガーディナー氏はメヌエットのこの特徴を「不規則な2拍子」と言っていましたが、けだし名言です。
  さてこれだけの簡単な法則で、楽器を持っていらっしゃる方は、例えばバッハのあの有名な「アンナ・マグナレーナのための練習帖」にあるト長調のメヌエットの旋律だけでも、強−弱−中強を思いっきり強調して弾いてみてください。又は口ずさんで見るのはもっといいかもしれません。何か今までとは違った高揚感のようなものを感じませんか。すぐにでも舞台に上がって聴衆に「語りかけ」たくなる様な衝動がわいてきませんか。その中に何か言語的な物も僅かにでも感じられるでしょうか。   音楽の発祥と言う物は言うまでもなく、掛け声とか、うれしい時悲しい時いろんな時に出る自然発生的音声が、次第に固定していって「うた」になりそれを楽器で真似て次第に器楽曲となっていったわけですから、深い所では必ずどんな国の音楽でもその言語の持っている固有のリズムに根ざしているわけです。各国の古い民謡や童謡も民衆の中から固定していった物でしょう。さらにはギリシャの古代劇の例もあるように韻を踏んだ詩の朗読(declamation)の抑揚が一定の旋律に固定して行く過程は、さらに作為的であり、作曲というものの始まりと言っていいかもしれません。
  ヨーロッパの人たちはそういった意味でバッハやモーツァルトを、意識するにしろ無意識にしろそのような感覚で聞いているわけです。しかもこういった偉大な作曲家たちはそういった民衆的な音楽をいろんな所で上手く取り入れているところが素晴らしいわけです。ハンガリーのある有名なピアニストが何かのインタビィウーでバルトークを本当に理解して演奏するにはマジャール語を理解していなければ無理だと言っているのを読んだ記憶がありますが、そこまで言われると少し抵抗がないわけではないけれど、それほど言語と音楽は密接に関係があるという意味では正論でしょう。バルトークの音楽も言うまでもなく民俗音楽に深く根ざしているわけですから。
  バッハは私にとって古今の作曲家の中で第一級のメロディストだと常々思っていますが、それが演奏家にとってのひとつの落とし穴でもあるのではないかと言うことを、ビルスマ氏は前掲の記事で言っていますね。第二の点についてはそういった事について次回ふれてみようと思っています。



     
           

 

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