レッスン風景
弦楽器専門雑誌サラサーテ4月号「悪魔のトリル」に筆者の記事がでています。
フランス政府給費留学生時代からリヨンオペラ座まで37年間かの地でチェリストとして活躍して来ましたが、日本の音楽界に少しでもお役に立とうと思い切って帰国し東京でフリーランサーとして活動を始めました。フランスで培って来た本物の、本場の音楽の経験、知識、スキルを出来るだけ多くの方と共有するべく活動して行きたいと思っています。
レッスンにくる方、来たい方によく「私は全くの初心者ですが」と言われます。おそらく僕のようなプロで40年もやって来たチェリストに遠慮なさっているんだと思います。そのお気持ちはよく解ります。反対に「私は上級者です」と言ってくる方はまずいません。何故でしょう。それはチェロの技術が進歩するにつれてチェロの(またはあらゆる楽器の)基礎は始めにやって身に付いたからと言って、それが一生モノではないという事が上手くなればなるほどわかってくるからです。
基礎は常に日々行う基本的トレーニングで、自転車に乗れるようになるとか泳げるようになるとか言った軽い意味での「獲得形質」ではないのです。基礎はまさに「初心」に帰り日々怠りなく行わなければならない「修行」なのです。だから楽器演奏家はその意味で永遠の「初心者」といえます。僕はいわゆる「初心者」とか「上級者」などという言葉はあまり使いたくありません。なぜなら、音楽をやってみたい、チェロを弾いてみたいそういう人たちにあるのはプロ、アマという境界線もない真の意味でのAmateur −音楽を楽しむ人− 願望があるからです。
この「音楽を楽しむ」という何でもない命題がいかに難しい事かは40年以上もチェロを弾き音楽に携わって来ていたいほど思い知らされました。われわれプロの音楽家はともすると「音楽を楽しむ」事を忘れ、人より巧く弾ける事を誇示したり、勝ち誇ったり、反対に人より下手な事を卑下したりする悪い癖があります。そこにあるのはもう音楽を楽しむとか音楽をする事ですらなく、ただただ社会的強者と弱者のような醜い社会の縮図です。しかし、僕もこの年になって、オケで弾いていても、室内楽でも、去年の連続リサイタルのようなハードなスケジュールの中でも、音楽って本当に楽しいなと思う瞬間がどんどん増えてきました。それは年齢による物なのかとも考えましたがやはり一番大きいと自分で思えるのはこのサイトでも紹介している「基礎トレーニング」をこの10年くらい続けるようになった事が一番大きいのではないかと思っています。基礎をしっかり磨く事によって克ち得た技術的自由度が音楽を楽しむ余地を増やしてくれたんだと思います。
「技術的自由度」と言いましたが芸術には上限がありません。「高々お前程度の技術で何を」とかおっしゃる方もいるでしょう。いや全くその通りかも知れません。ヨーヨーマや僕の弟弟子でもあるケラス君なんかが見たらお笑いかもしれません。しかしです。ここが問題。だからといって自らを「卑下」していては永遠の「音が苦」家です。今自分が持っている技術、音楽性に満足できなかったらきっと一生満足できないと気づいたのです。今持っている物で満足して自分を表現する事の大事さ、尊さと言っていいでしょう。そういう考え方はなんとなく「幸福論」に似ています。いや全く同じかもしれません。どの程度の技術を身につければ、チェロを楽しむ事が出来るのかという疑問は、お金はいくら持っていれば幸福になれるのかという愚問と同じでしょう。そうすると、いわゆる「アマチュア」も「初心者」も「中級者」も全て同じように音楽を楽しめるのではないか?そういう結論はすぐに出ます。僕があらゆるレベルの音楽愛好家と交流したくなったのははこんな理由からです。
基本的な考えは「僕の基礎練習法」に書かれていますので参照してください。ただし、ここに書かれている内容はかなりハイレベルなチェリストを念頭に置いて書いていますので、実際には生徒さん個々のレベルにあわせて行います。
また、レッスンのポイントをビデオに録画してYoutubuで閲覧(ご本人しか見られない非公開です)出来るようにしています。この方法は特に小さいお子さんや「初心者」の方には大変効果的です。