「レコード芸術」5月号準特選レビュー
濱田滋郎
 昨年夏、北海道は新十津川町、ゆめりあホールで録(と)られたというライヴ録音。「ライヴによる舞台上、ならびに客席からのノイズにご容赦ください」との注意書きがあるが、「名目」ではない真正のライヴ録音であるらしい。
  バッハ《無伴奏》のように、奏者に耐えざる集中力を要求する楽曲、しかも全曲つづけての演奏において、ライヴで録るということは想像以上の難事であろうに、それはこうして、十分に高い水準のもとに実現を見た。これを敢えて成し遂げた怪傑チェリストの名は津留崎直紀。決して新人でも、若手でもない。昨今、目ざましい業績を重ねてむしろ大家の域に近づいた感のある野平一郎が、当CDのブックレットに「芸大の同級生」として賛辞を贈っているのを見れば、どの世代の人かわかろう。現在52歳のチェリストは、パリ音楽院に学んでのち、リヨン国立管を経て同国立歌劇場管に籍を置き、現在に至ったという。日本での演奏が行われなかったわけではないが、ヨーロッパに本拠を置いて活動をつづけてきたため,当CDが証明するとおり、あり余る実力を保ちながら、日本の音楽ジャーナリズムに取り上げられることが少なかったのである。
  さて、津留崎のバッハ演奏は、「唐竹を割ったような」と形容できそうな正攻法である。小細工を弄さず、正面からバッハの森を切り進んでいく。こまかく、うるさく言うならば、すべてが洗練され切ってはいない。しかし、ここには、そんなことを補って余りある気迫がみなぎっており、聞き手はいつしか、理屈を超えた感動に誘われる。2枚目の収録時間が80分になんなんとするのもものかわ、第1番から第6番へと順に弾き進むところまで、正攻法に徹している。そして、第5番の深遠から第6番の高揚へと向かうあたりが、またとりわけて忘れがたい。このように幸せな形で、この尋當ならざるチェリストを知りえたことは大きな喜びだ。

那須田務
 リヨン国立歌劇場管弦楽団のチェロ奏者、津留崎直紀のバッハ全曲。それも、北海道新十津川町ゆめりあホールにおけるライヴ録音である。なぜこの大曲をスタジオではなく、ライヴ録音でしたのかと言うことだが、ライナー・ノーツでご自身が綴った「バッハ随想」によれば、同組曲はひとつの6曲からなるツィクルスであり、その「流れは全曲演奏という形でしか表せないから」であるという。
  さて、その演奏。ライヴ録音の趣旨から行って当然ながらコンサートの演奏順もディスクの通りなのだろう。1番のプレリュードは相当にテンションの高い気合の入った演奏である。ここからただちにバッハの世界へ没入する。フレーズの段落の区切りが明確で大きく、あっという間に最後まで聴かせる。ここで一呼吸置いてアルマンドは、ひとつひとつの音やアーティキュレーションを確かめるように弾いていく。クーラントは前曲と対照的にかなり速いテンポと力強い固めのアーティキュレーションで、そしてサラバンドはかなりゆったりとしたテンポと柔らかなアフェクトでと、各曲のテンポやアフェクトを際立たせる。続く楽曲の性格づけや表現そのものにも十分なメリハリがある。2番のクーラントは前へ前へと音楽を進めて、熱気が籠もる。興味深いことに(あるいは当然というべきか)、曲が進むに従って奏者はより深く己の精神の深みに入っていくように思える。その傾向は5番ハ短調の組曲で極まる。その点でこれはかなり求道的なバッハといえる。バッハの書いた音を演奏することで己の精神の内奥深くを見つめる、それはいうなればカザルス以来のチェリストたちが辿ってきた道だが、コンサートであることでその傾向がより一層顕著になっているのではないか。救われたのは、6番の晴朗さと開放感だった。旅の終わりに歌われる歌は、思いのほか明るい。

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