テンペラメントと二重音

 

 
  良い音程で演奏する事は弦楽器奏者にとっての、十字架のようなものです。どんなにフレージングが美しくともどんなに情感がこもっていても音程が悪いのはなんとも耳障りなものです。我々弦楽器奏者がその為に費やす時間は全体の練習量の優に半分は超えるでしょう。 ヴァイオリン族弦楽器はフレットがないので理論的にはどんな風にも音程を取る事が出来るわけで曲の様式、性質、情感などにあわせて様々なテンペラメントを随時使い分けると言うことも可能です。と言うより、そうする事が当然と心得て演奏することが優れた演奏家といっても良いのではないでしょうか。 逆に言えばどういう音程で弾くかと言う選択肢を僕たちは聞く人対して責任を持たされているわけです(必ずしも聞く人はそう思っていなくても)。 こういった所謂『音程の取り方』に奏者の個性も現れるのですが、ここにバロックの昔から(いや、もっと古くから)結論の出ない古くて新しいテンペラメントの問題が我々弦楽器奏者にも出てくるのです。
  テンペラメントとはあまり聞きなれない言葉ですが鍵盤楽器のように音程をあらかじめ固定しなければならない楽器を調律する際の方法論です。平均率といえばバッハのクラヴィーア曲集の名で誰でも知っていますが平均率もこのテンペラメントのひとつで、1オクターヴを均等な12個の半音に分割して調律する方法で、ある意味の徹底した合理主義的な方法と言えるでしょう。バッハの時代のチェンバロ調律法(テンペラメント)は個人の好み、地域によって様々に乱立していて、特定の調では非常に美しく響くがそれ以外の調では全くその反対であるような調律法が非常に多かったようです。そこでバッハが提案したのは、様々な問題はあるにしてもすべての調に対して均等に良く、均等に妥協的である平均率でも音楽は成り立つと主張したかったわけです。
  では、弦楽器の場合どのように調弦しどのような音の取りかたをするのか。 その前に一応理論上の基本について書いてみます。
  1オクターヴは1対2の比率の振幅数、完全5度は3対2です。 また長3度は、5対4の響きが美しい響きであることはピタゴラスの頃から知られていることです。(この長3度はいわゆる小さい3度で1本の開放弦上の4番目に出てくる倍音です。) この事は実際に視覚的に弦楽器の弦で確かめられます。 この理論で完全5度を4回重ねて得られる長3度は一体どんな音なのか。例えばドからはじめてソ−レ−ラ−ミと取り、このミを2オクターブ下げると(ここでのオクターブも2対1)81対64という結果になり5対4(80対64)の純粋な長3度が得られません。 これは古くから知られていた事で、様々なテンペラメントを生むことになった理由なのです。
  この矛盾はヴァイオリンやチェロでも簡単に試すことが出来ます。チェロの場合で説明しますがヴァイオリンやヴィオラでも勿論同じ結果が出ます。まず完全に調弦した上でG線上のドをCの開放弦に同調させ今度はそのドにD線上のファ(完全4度)を取ります。言うまでも無く完全4度は完全5度の転回形なので純粋な響きはかなり聞きわけ安いはずです。ここで得られたファとAの開放弦とで得られる長3度はファが低すぎるはずです(又はラが高すぎ)。これは特に弦楽カルテットをやっている人には良く知られたことでF-durの曲ではいつも悩むことのひとつです。 それなのになんとF-durのカルテットが多いことか。ベートーヴェンには3曲(No1、7、16)。 f-mollの10番も入れると4曲もあります。 この例に似たこととして、(同じ事とも言えますが) G線上のドとD線上のラをそれぞれ隣の弦(ドとラ)に同調してそこで得られる長6度のド−ラを弾くとかなり不快な響きがするはずです。 この場合の長6度は短3度の転回形なので又少し別な話になりますが、話が複雑になりすぎるのでこれはこのくらいでとどめておきます。
 このように 完全5度を4回重ねただけで既に誤差は人間の耳が認容出来ないほどになっているのです。
 さて、それではどうするか?

                 以下続く
 



     
           

 

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