ベルリオーズの生家

 

 

6月27日

 コートサン・タンドレ市(LA Cote St Andre)はグルノーブルとリヨンの中間あたりにある、ビエーヴル地方ののどかな田園に囲まれた小高い丘の上にあります。僕はここの音楽学校で教えるようになってから、もう6年になります。この町はベルリオーズが生まれ18歳まで、医者である父の厳しい教育を受けて育った町で、毎年ベルリオーズ フェスティバルが8月に開催されます。
  毎週車でリヨンから教えに通っていますが、よく晴れた夏のこの季節、遠くに見える雷雲、その下に広がるヴェルコールの山々といった景色は、「幻想交響曲」の、あのコールアングレが奏でる「田園風景」の音楽をまさに彷彿とさせる景色です。青年ベルリオーズの網膜に映ったほとんどそのままの景色が、目の前にあるという幸運を思わずにはいられません。町の目抜き通りにその生家が、今は、ミューゼ(記念館)として残されています。
先日、少し時間が出来たので初めて訪れてみました。記念館の中は撮影禁止なので写真でお見せできませんが、裕福な町医者の家らしく3階建ての大きな家す。いろいろ雑多な資料は展示してありますが、自筆譜などの一級資料は、フランスが所有している物は少なくとも、パリの国立図書館等の所有になるので、展示物はそれほど豊富というわけではありません。


  この写真は中庭から撮った物です。エクトールの部屋は二階の一番左側ツタの絡まった窓のあるところ。たたみ6畳分あるか無いかの部屋です。和声課題の書かれた楽譜、同時代の作曲家の楽譜を手書きコピーした楽譜のほかに、エクトールが使っていたギターも展示してありました。
ここの説明で始めて知ったのですが、青年エクトールは、父親がリヨンから探してきた音楽の先生に和声などのレッスンを受けていたようです。

こ の写真は表通りから見た写真です。

ベルリオーズ フェスティヴァルは1978年頃だったと思いますが、当時リヨン管弦楽団の音楽監督だったセルジュ・ボドの提唱で、リヨン市とコート・サン・タンドレ市が合同で発足したフェティバルです。 途中でリヨン市が撤退して存亡の危機があったのですが、コート・サン・タンドレ市が自力で存続させて、財政的にも県の(こちらの地方行政的言葉では、レジオン)バックアップを得て現在に至っています。質素な財政と、町民のボランティアで成り立っているので、スター的なソリストやオーケストラはあまり呼べないのが実情のようですが、二年前の2003年はベルリオーズの生誕200年に当たり、かなり予算も大幅にとられたようで、ロストロポーヴィッチを迎えてリヨンオペラ座管弦楽団とドヴォルザークのコンチェルトが演奏されました。



     
           

 

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